たとえば「子どもの頃、おじいちゃんにとても可愛がってもらった」「あの先生にはとても可愛がってもらった」というような時、具体的には何をしてもらったシーンが思い浮かぶでしょうか。
日本では恋人同士以外がするハグやキスがあまり一般的ではないため、「可愛がる」行為の具体的な「絵」が、普遍的なものとしてはイメージしにくい傾向があるように思います。
一緒にゲームをしたとか、親身に教えてもらったとか、何度も食事に誘われたとか、そんなシーンの積み重ねが「可愛がってもらった」という印象に繋がるのかもしれません。
この時期、牡牛座の人々は「可愛がる」「可愛がってもらう」ような場面に立つようです。
そこで何をしたら「可愛がった」ことになるのか、何をしてもらったら「可愛がってもらった」と思えるのか、それ自体を深く考えることも、この時期のひとつのテーマです。
どんなケアでもちゃんと伝わるわけではありません。
「荒療治」がちゃんと効いた場合でも、後で感謝されるか、憎まれるかはわかりません。
道に倒れていた小動物の手当てをして、元気になったら一目散に山に逃げて行った時、見送りながら深く満足できれば、それは本物の愛情と呼べるはずですが、一抹の寂しさが残るのも事実です。
そうした寂しさに耐える力もまた、愛する力なのかもしれません。
一方で、もし、ケアの気持ちが伝わり、応えてもらえたとしたら、そこに大きな愛の喜びが生まれます。
今週はそういう喜びを感じる人も多いだろうと思います。