【追悼・ロバート・レッドフォード】「つかみどころのない恋人」「罪深いほど美しい男」ロバート・レッドフォードの本当の姿とは?

Celebrity 2025.09.17

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魅力的な恋人、理想の婿、そして罪深いほど美しい男を演じたロバート・レッドフォードは、演技力も容姿も兼ね備えた俳優のごく限られたひとりだった。そのため、複雑で奔放な恋人役を任されることが多かった。2025年の今見ると、「有害」とも言えるかもしれない。では、彼は本当のところ、スクリーンでも私生活でもどんな恋人だったのだろうか?

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舞台やテレビで注目を集めた後、スクリーン上で、ナタリー・ウッドと共演した『サンセット物語』(監督ロバート・マリガン、1965年)で一般的に知られるようになる。俳優として初めての大役は、二枚目のロバート・レッドフォードがゲイのハリウッドスターを演じるという、当時としては大胆な挑戦だった。だが、その演技は評価され、ゴールデングローブ新人男優賞を受賞。ハリウッドの扉が開かれた。photography: Getty Images

スクリーン上では、ロバート・レッドフォードはどんな恋人だったのだろうか。2025年9月16日に89歳で亡くなった彼は、まず情熱的な恋人であり、人生の最も濃密な瞬間をともにする伴侶を演じた。そして、多くの役柄は型にはまった安定した生活に落ち着くことは決してなかった。彼が演じた恋人役の中で最も印象的なのは、映画『愛と哀しみの果て』(シドニー・ポラック監督、1985年)だろう。小説家カレン・ブリクセン(メリル・ストリープ)の最愛の人デニス・フィンチ・ハットンを演じ、日常に縛られず、旅や冒険を優先し、自由を愛する恋人の姿を力強く演じた。安定した関係よりも自由を求め、時には相手を待たせても、探求や冒険に身を投じる恋人像だった。この役で描かれた恋人像は、1980年代半ばに鮮明な印象を残した。当時、『愛と哀しみの果て』は世界的に大ヒットし、カレン・ブリクセンの人生は、自分を犠牲にし、時には苦しい選択をしてきた姿を通して、多くの人に影響を与えた。ロバート・レッドフォードは1980年代の男性像を体現した。自己実現や自分探しを追求し、ときには相手を苦しめることもいとわない恋人像を演じた。

つかみどころのない恋人

彼はつかみどころのない恋人を何度も演じてきた。理想の恋人としてのイメージを確立し、息をのむほどの美貌、魅力的な恋人、理想の義理の息子、カウボーイから軍人、スパイまで自由自在に演じこなす完璧な存在だった。そして常識にとらわれない現代の冒険者として、つかみどころのない魅力を放ってきた。その彼のスタイルは、『大統領の陰謀』(アラン・J・パクラ、1976年)でボブ・ウッドワードを演じたときにも見られた。そこでは、何よりも「真実への愛」を最優先するジャーナリスト像を体現している。また、『華麗なるギャツビー』(ジャック・クレイトン、1974年)では、アメリカン・ドリームのゆがみを象徴する謎めいた存在として、過去の地に復讐めいた愛を求めてやってくる人物を演じた。そして『コンドル』(シドニー・ポラック、1975年)では、追い詰められ、窮地にある男として登場し、その途中で恋に落ちるものの、それは束縛の形でしかなかった。彼の映画における「愛」は、常に葛藤や緊張、ドラマ性の上に成り立っている。現代の目で見ると毒性を帯びた関係性と表現できるかもしれないが、1970〜80年代には、むしろ極度にロマンティックであり、そのためには緊張やもどかしさ、衝突が欠かせなかった。そして、1970年代の最も印象的な作品のひとつである『追憶』(シドニー・ポラック、1973年)では、バーブラ・ストライサンドの恋人を演じた彼は恋に悩み、同様に悩む相手と共に、不安定な関係の中で必死にもがく。つまり、彼が演じたのは完璧な理想の恋人ではなく、葛藤や緊張の中でこそ存在感を放つ恋人像だった。

ふたつの愛

彼が演じた役柄は、果たして実生活の彼を映していたのだろうか? 公式の伝記によれば、むしろ正反対である。ロバート・レッドフォードは、生涯を通じて大きな恋愛はふたつだけだった。ひとつはローラ・ヴァン・ワーゲネンとの結婚で、4人の子どもをもうけた。結婚生活は1958年から1985年まで続いた。もうひとつの恋愛は、人生の残りをともにしたシビル・ザガーズで、1996年から交際し、2009年に結婚している。こうした事実から見えてくるのは、役柄と実生活は必ずしも重ならないということだ。俳優と一個人、作品と愛は別物であり、混同してはいけない。とはいえ、バーブラ・ストライサンドとの噂を含め、彼にまつわる憶測は後を絶たなかった。ふたりは本当に恋に落ちたのか?撮影中に関係はあったのか?バーブラ・ストライサンド本人の伝記によれば、彼女は確かに彼に恋をしていた。しかし、彼の頭には映画のことしかなく、『愛と哀しみの果て』の役柄のように、いつも旅立つ準備ができていた。そして、おそらく彼の心にあったのは、現実の世界で共に生きる、ただひとりの自分の妻だったのだろう。

1969年、ロバート・レッドフォードは『明日に向かって撃て!』(ジョージ・ロイ・ヒル監督)の撮影でポール・ニューマンと出会う。映画は5つのアカデミー賞と9つの英国アカデミー賞を受賞し、その中にはロバート・レッドフォード自身の最優秀男優賞も含まれた。photography: Getty Images
天使のような顔立ちの彼は撮影現場を離れると、模範的な家庭生活を送っていた。1969年、ニューヨークの街角で(左から)息子デイヴィッド・ジェームズ、娘ショーナ、そして妻ローラと一緒に。photography: Getty Images
1972年、ロバート・レッドフォードは映画『候補者ビル・マッケイ』に製作出演する。カリフォルニア州上院議員選挙の舞台裏に迫る本作は、俳優としての初期の政治映画のひとつであり、後にハリウッドで最も社会的に影響力をもつ俳優のひとりとなるきっかけとなった。photography: Getty Images
1973年、ロバート・レッドフォードは再びシドニー・ポラックと映画『追憶』でタッグを組んだ。恋愛と社会問題を描いたこの作品は、多くの人々の記憶に残った。共演者のバーブラ・ストライサンドは、伝説的なサウンドトラック「The Way We Were」も担当した。photography: Getty Images
同年、ロバート・レッドフォードは、親友でお気に入りの監督シドニー・ポラックと共にカンヌ国際映画祭での映画『大いなる勇者』のプレミアに出席した。ふたりは7本の映画を共にした。息子ジョンが本作の音楽を作曲したため、ポーランドのピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインとその妻アニエラ・ミナルスカ(右)も同行した。photography: Getty Images
フランシス・スコット・フィッツジェラルドの小説の主人公、ギャツビーを演じられるのはもちろん彼しかいない。共演者はミア・ファロー。フランシス・フォード・コッポラ監督作は1974年に公開され、大ヒットとなった。photography: Getty Images
1976年、サーファーのような風貌の彼が再び政治的な大役に挑む。『大統領の陰謀』ではウォーターゲート事件を描く。プレミア上映では、ハリウッドの顔ぶれが揃った(ロバート・レッドフォードとライザ・ミネリ、ニューヨーク、1976年4月5日)。photography: Getty Images
80年代初頭、俳優としてのキャリアに転機が訪れ、初監督作『普通の人々』を手掛けた。アメリカ中流家庭が悲劇に直面する心情を描いたこの作品は成功を収め、アカデミー賞およびゴールデン・グローブの最優秀監督賞を受賞した。photography: Getty Images
ロバート・レッドフォードは、仕事と家庭の両立を見事にこなしながら、子どもたちとの関係も大切にした。自分のスターとしての生活の一部も惜しみなく共有し、例えばニューヨークの国際写真センターでの展覧会オープニングの夜には、娘ショーナと一緒にその瞬間を楽しんでいた。(1983年11月)photography: Getty Images
1984年にはスポーツマンとして登場。映画『ナチュラル』で、グレン・クローズとキム・ベイシンガーと共に野球選手ロイ・ホッブスを演じた。この映画は大ヒットとはならなかったが、父親から野球を教わったことに敬意を表すメッセージが込められていた。photography: Getty Images
息をのむようなアフリカの風景、美しいサウンドトラック、そして予想外の恋愛ストーリーを映画界の大物ロバート・レッドフォードとメリル・ストリープが演じた。1985年、シドニー・ポラック監督の『愛と哀しみの果て』はオスカーに11部門ノミネートされ、11の賞を受賞したが、残念ながらふたりは受賞を逃した。photography: Getty Images
『普通の人々』と『ミラグロ/奇跡の地』の後、ロバート・レッドフォードは監督として3本目の映画に取り組む。1992年、彼はブラッド・ピットに映画『リバー・ランズ・スルー・イット』への出演をオファーした。ブラッド・ピットは自然を愛し、フライフィッシングの名手だが、若くして命を落とす運命にある役どころを演じた。この映画はまたもや大ヒットを記録し、興行収入も大成功を収めた。photography: Getty Images
1998年、ロバート・レッドフォード監督の映画『モンタナの風に抱かれて』が世界的に大ヒットとなり、またしても成功を収めた。また、本作で若きティーン、スカーレット・ヨハンソンのキャリアを本格的に開花させた。photography: Getty Images
政治的活動にも積極的なことで知られた彼だが、芸術分野にも同じく熱心だった。1981年にはユタ州の自分の土地にサンダンス・インスティテュートを設立し、演劇や独立系映画を支援し、夢を追いたい若者をサポートした。photography: Getty Images
2002年、ロバート・レッドフォードはそのキャリア全体を称えるアカデミー名誉賞を受賞した。過去に逃したノミネートを消化するような意味合いもあった。同じくアカデミー名誉賞を受けた著名人には、チャーリー・チャップリン、ウォルト・ディズニー、ジャン・ルノワールがいる。 photography: Getty Images
息子デイヴィッド・ジェームズ・レッドフォードによる初長編映画『Spin(原題)』のAFI映画祭での上映イベントで父子が再会した。(ロサンゼルス、2003年11月8日)photography: Getty Images
2005年、ロバート・レッドフォードは子どもたちとともに第28回ケネディ・センター名誉賞に出席した。俳優は新恋人で画家のシビル・ザガーズを同行した。私生活については常に模範的で、ふたりは2009年7月に結婚し、彼が亡くなるまで生活を共にしていた。photography: Getty Images
1985年には、学校に加えてサンダンス映画祭を設立した。新世代の俳優たちが集まる映画祭で、クリステン・スチュワート、テイラー・スウィフト、ジェニファー・アニストン、ブラッド・ピットも訪れた。ユタ州に少しの華やかさをもたらす場所である。(2009年にはデミ・ムーアとアシュトン・カッチャーも参加)photography: Getty Images
ロバート・レッドフォードは、私たちを驚かせ続けた俳優だった。『アベンジャーズ/エンドゲーム』のような大作から、2013年カンヌ国際映画祭で披露した『オール・イズ・ロスト 〜最後の手紙〜』のような個性的な作品まで、どんな役でも彼らしい輝きを放った。photography: Getty Images

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text: Joseph Ghosn (madame.lefigaro.fr) translation: Hanae Yamaguchi

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