広瀬すず×吉田羊、映画『遠い山なみの光』で同じ主人公を演じたふたりの女優にインタビュー
Culture 2025.09.17
ノーベル文学賞受賞作家カズオ・イシグロの長編デビュー小説を石川慶監督が映画化した『遠い山なみの光』。今年のカンヌ国際映画祭「ある視点」部門でワールドプレミアされた話題作がいよいよ日本公開される。1980年のイギリスに暮らす長崎出身の悦子が娘に語る、かつての友人・佐知子(二階堂ふみ)との思い出の中に隠された真実を追うヒューマンミステリーだ。50年代の悦子を演じた広瀬すずと、80年代の悦子を演じた吉田羊が、本作について語ってくれた。
※一部、本作のストーリーにまつわる内容が含まれる可能性があります。ネタバレを回避したい読者は鑑賞後の記事閲覧をお勧めします。
「説得力のある母娘像がこの映画では多く語られる」――広瀬すず

――脚本、あるいは原作を読んだ印象は?
先に脚本を読みました。解釈が難しいと思いました。読み取れていない部分がいっぱいあるのだろうと思い、ますます興味深く魅力的に感じました。出演が確定した後で原作を読みました。演じるという前提で読んだので、いい意味で印象が違ったのですが、脚本のほうを道しるべに悦子という人物を演じようと思いました。
――役作りはどのようにしたのでしょうか?
簡単な役ではないので不安もありましたが、撮影前に監督が本読みやリハーサルの時間をたっぷり設けてくださった。方言や50年代特有の話し方はどれほど徹底すればいいのか、また"悦子"という女性像をどれほど作り込んでいいのか。あまり固め過ぎてしまうと、この作品の場合、少し違う気がして、最適な答えを求めて迷いながら本読みに進みました。私が演じる悦子というキャラクターは、半分は悦子なのですが、もう半分は佐知子さん、つまりふたりでひとりの女性のような捉え方をしていたのですが、二階堂さんが佐知子像をしっかりと作ってから本読みに参加されていたので、かなり参考になりました。話し方を少し寄せてみたり、不安な感じなども取り入れました。

――ひとりの女性の中に、悦子と佐知子がいるという解釈はおっしゃる通りだと思いますが、悦子の人生において佐知子という女性はどのような存在だったのだと思いますか?
佐知子さんは、悦子にとって希望だったと思うんです。憧れとは違いますが、人生の光になってくれるような存在でしょうか。
――広瀬さんが演じた悦子は佐知子に寄り添いながらも、どこか違和感を感じたり反発を感じていたり、緊張感も見られると思います。あの居心地の悪さこそが悦子の葛藤だったのでしょうか?
そういうふうに捉えていました。当時の女性たちの生き方というか、戦争や原爆などいろんなものを経験した後に自分の中に残ったものは、人それぞれ違います。見えていたものも多分、それぞれ違う。その感じ方の違いを悦子を通して表現できたらと思いました。
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――80年代の悦子は吉田羊さんが演じられました。完成した映画を見て、"もうひとりの悦子"をどのように感じましたか?
無責任なようですが、イギリスに行ってからの悦子に関しては、ある意味違う作品、違う役みたいな感覚で受け止めていました。長崎編を撮っている時に、羊さんが何回か現場に来てくださったりしていたんですけど、お互いに悦子について話すことはありませんでした。当初は、癖とか揃えたほうがいいんじゃないかっていう話もあったんですけど、気付いたら「別にそれは気にしなくてもいいか」という雰囲気になっていて。ふたりの悦子、佐知子、悦子の娘ニキ、4人でひとりの女性みたいな感じで見えたらいいなと個人的には思っていました。

――80年代の悦子は、母と娘の間の葛藤を抱えていますね。
この作品の中には、説得力のある親子像がいろいろな形で描かれていると思います。たとえば佐知子の娘の万里子は子どもですが、彼女の人生はすでに始まっていて自分の意思も感情もあります。ひとりの人間としてそこにいる。母と娘である以上に人間と人間でもある。イギリスで生まれたニキにはまた、違う母娘の関係があります。しかも、年月が流れても親子は親子ですが、人間は年齢とともに記憶は増えていくけれど、記憶はどんどん変化し、感じ方や感性も変わってきたりもする。そういうゾワゾワするような親子関係が興味深いと思いました。
――本作は、女性讃歌でもあると感じました。悦子と佐知子が出かける長崎の稲佐山(いなさやま)のシーンは象徴的ですが、女性の連帯に関して意識しましたか?
この物語に出てくる女性たちを考えた時に、女性って強いなって、素直に思いました。女性同士で一緒にいると似てきたりすることありますよね。お互いにないものを自分のものにもしようとする意欲的な部分が、女性にはあるような気がします。それでいて自分たち同士ではまったく違うと思っている。そういう、激しいというか瞬発的な心の動きは男性にはないように思います。だからこそ悦子と佐知子のような関係が成立する。そうした女性同士の関係が希望に繋がっているのが、この作品の素晴らしいところだと思います。

――本作は被爆地である長崎の女性の生き辛さも描かれていますが、いまを生きる女性の生き辛さに通じるものはあると思いますか?
あの時代を生きた人たちは、被爆経験者という細い糸で繋がっているように思いました。言葉にしなくても共鳴し合える。現代の女性もそれぞれ悩みはもちろんあると思いますけど、そういった繋がっている感じはあまりしませんね。
――原作者のカズオ・イシグロさんとは、どのような話をしましたか?
カズオさんとはカンヌで初めてお会いしました。お人柄は日本人らしい古風な姿も垣間見えましたし、大作家という言葉から想像していたより、ずっとチャーミングでした。この映画に対して、すごく愛情を持ってくださっているのが伝わってきて、うれしかったです。石川監督と一緒に取材を受けている時の言葉を聞いていると、石川監督への信頼の強さを感じましたね。
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「女性たちの結びつきの強さ、美しさに涙が出ました」――吉田羊

――悦子をどのような人物だと解釈しましたか?
自分に厳しい人だなと思いました。戦後まもなくの50年代に通訳ができるほど英語が話せ、バイオリンも弾ける非常に最先端な人。そして人生の判断基準が自分にあると信じられる、芯の強い人だったのではないかなと感じました。一方で、失敗や後悔への耐性が低いというか、向き合うことができないでいる。でもそんな不器用さや弱さも人間臭くて、彼女の魅力です。この人をもっと知りたいと思わせてくれるキャラクターだと思いました。
――悦子を演じる上でチャレンジングだったことはなんでしょうか?
まず、悦子が若き日に住んでいた街が長崎であったということ。というのは私の父方のルーツが長崎なんですね。父は5歳の時に(長崎に)原爆が投下されたのですが、爆心地から山をふたつ隔てた病院に入院していたので、直接的な被爆を逃れた。病弱だったんですけれど、その原爆の日を境にみるみる元気になり、祖父から「お前は原爆で亡くなった方々の命をもらって生きているんだよ、だから命を大切にしなさい」と言われたという話を折に触れ聞かされていました。
今回、(悦子役の)オーディションのお話をいただいた時、ルーツを長崎に持つ私のところにこの話が来たのも何かの縁だと思いました。私だからこそ感じられることがあるのではないかなと期待する部分もあり。悦子は、常に感情に蓋をして生きている。もちろん人間はそれぞれのやり方で、自分の感情と折り合いをつけて生きていて、彼女も自分の中で「折り合い」をつけられていると信じ込んでいると思いますが、そういう部分は、私と似ているなと感じました。うまくやれていると思っているけれど、実はそうでもない。自分に近いものを感じたことも、ぜひ演じてみたいと思った理由のひとつです。

――カズオ・イシグロさんとはどのような話をしたのですか?
イギリスの撮影現場で初めてお会いしました。「自分が25歳の時に書いた本が、こんな映画として形になるなんて思ってもみなかった」とおっしゃられました。長崎編を日本で撮り終えてから、撮影チームはイギリスに入ったんですけれど、イシグロさんは、長崎編をすでにご覧になっていて、「すごく美しい映像で、チームの皆さんがこの映画にかけておられる熱意を感じて、とても完成が楽しみになりました」とおっしゃってくださいました。
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――80年代の悦子はイギリスに20年以上住んでいるという設定ですが、どのような役作りをされましたか?
石川監督から「悦子は日本人なので流暢である必要はないけれど、渡英して30年という年月が経っているからブリティッシュアクセントで話してください」というリクエストがありました。まだ出演が決定していないオーディションの段階でしたが、撮影の前に1ヶ月イギリスに行くことを決め、スケジュールを開けて心積もりをしておきました。実際に出演が決まってから撮影までの間、1カ月(イギリスで)ホームステイをしてから撮影隊と合流しました。アクセントはもとより、30年イギリスに暮らしているという雰囲気というのは、住んでみて初めて分かることもあるんじゃないかと。イギリスでの生活を知ることもホームステイの大きな目的でした。
――撮影はイギリスのどこで行なわれたのですか?
ロンドンから北に車で1時間ほど走ったセントオーバンズという町にある、鬱蒼と茂った森の中の一軒家でした。小説の中にも登場するジャパニーズガーデンはとても素晴らしく、家の中は悦子のこだわりがそこかしこに感じられ、30年住んでいたというリアリティに満ちた造りでした。本に描かれていた世界観をそのままイメージできるお宅でしたね。
――原作のカズオ・イシグロの作品は、どこか「語られなかったこと」が余白として残る文学ですが、そうした余韻をどう表現しようと試みましたか?
真実に対する悦子の思いと、それを語ろうとしなかった理由を私なりに胸に抱きながら演じました。とは言え彼女の中にも正解はなく、葛藤と肯定を繰り返す様がそのまま映れば良いなと。実のところ人は、語るよりも語らない割合の方が圧倒的に多く、語らないがゆえに、むしろ隠された本音や真実が伝わってくるものだと感じます。今回、その世界を石川監督が美しく表現されていた。石川監督ならではの不穏さもあり、ミステリー色の強い作品になりました。台本から受けていた印象からは少し違っていたことも驚きでした。複雑に過去と現在が絡み合い、虚構と現実が混ざり合っていく。いろいろなところに謎も隠されていますし、原作小説を読んだことがない方や映画ファンの方々にも興味を持っていただける作品になったように思います。

――1950年代の悦子は広瀬すずさんが演じられました。同じキャラクターを演じることで準備したことはありますか?
イギリスに入る前に、すずさんが演じる悦子からヒントを得られたらいいなと思って、実際に撮影現場を訪れました。私が演じた80年代の悦子は、内省的というか、自分の内へ内へと入っていく役なので。時代を越えて共通の癖みたいなものが見つけられたらいいなと思ったからです。石川監督に相談したら、それぞれの悦子を演じても十分にひとりの女性として繋がるものになるのではないかということになったのですが、とはいえ、これは取り入れたいと思った癖などは取り入れさせていただきました。真髄に触れるお話と向き合った時の彼女の聞き方があって。その時に彼女が、身体のどこかを触るんですよね。何かから自分を守るように、そして自分を保つような感じで触る。それを見た時に、これはおそらく時代と場所が変わっても変わらない癖だなと思いました。
――本作は、男性作家による小説の原作を男性監督が監督していますが、女性や連帯についての"女性映画"と見ることができるとも思います。
女性には、精神的にも身体的にも、特有の共感性があると感じます。苦境の中でその結びつきは更に強くなり、稲佐山で佐知子が悦子にかける言葉の一つひとつには相手の痛みを自分のものとして寄り添うことのできる深みを感じました。いつの時代も女性は逞しく、美しい。そう感じられて、カンヌで2度目を観た時には涙が出ました。
⚫︎監督・脚本・編集/石川 慶
⚫︎原作/カズオ・イシグロ著 小野寺健訳『遠い山なみの光』(ハヤカワ文庫)
⚫︎出演/広瀬すず、二階堂ふみ、吉田 羊、カミラ・アイコ、柴田理恵、渡辺大知、鈴木碧桜、松下洸平、三浦友和 ほか
⚫︎配給/ギャガ ⚫︎2025年 日本・イギリス・ポーランド映画
⚫︎123分
TOHOシネマズ 日比谷 他 全国で公開中
text: Atsuko Tatsuta